母手作りのおけいこバッグ、店の名前にしました。トッポジージョの声をまね、涙くんさよならの歌をうたっていた頃、我が家では、父のレコードと母の踏むミシンの音が流れていました。

カタカタ カタカタ

たくさんのシャーリングが入った赤いワンピース、タオルで作った夏のパジャマは肌ざわりが気持ちよかった。

駅まで父を迎えに行った帰り道、小さな雑貨屋イソップでポパイとオリーブのワッペンを買ってもらいました。ピアノのおけいこ始めたときに母が作ってくれた紺色の手提げかばんにつけてみたら、それは特別なものになりました。

折り紙、リリアン、編み物などで遊んでいましたが、母がコンピューターミシンを買ったので小学4年生の夏休み初めて肩のところで縛るピンクのワンピースを縫ってみました。仕上がった時の嬉しさ今も覚えています。

洋裁に興味を持った私は文化女子大学で課題に追われ徹夜徹夜の日々。文化祭でのファッションショー、自分たちで作り上げた服がライトの光を浴び沢山の拍手をいただけた時は、それはそれは何とも言えない感動でした。

合宿中疲れ果て息抜きに友達と二人、まだ工事中だった都庁を見に行ったこともありました。真夜中の散歩は清々しかった。

北京でのファッションショーは緊張の連続だったのでどんな感じだったのか全く記憶に残っていませんが、大成功とのことでした。

観光した万里の長城が壮大だったこと、初めて食べた北京料理、行き交う沢山の自転車、戸のないニーハオトイレ、恥ずかしかった思いなどが頭に浮かんできます。

卒業旅行では、ルーブル美術館やベルサイユ宮殿、トレビの泉ではコインを投げ願い事をしたり、真実の口に手を入れてキャッキャッはしゃぎイタリアの蚤の市では古着の皮のコートを買い楽しく過ごしました。若い頃そのコートを着続け今では体が倍?程に肥え着れないコート。楽しい思い出と一緒に大切にしています。

卒業後、秋葉原で婦人服のデザインとパターン作製。富山県に移り住んでからは子供服のパターン作製とサンプル縫製。結婚してからは洋服のお直しをしております。

初めてのことはみんな服から始まりました。服作りはこれからも私に何を見せて何処へ連れて行ってくれるのかしら?

大好きだった手提げかばん。あの時の嬉しかった気持ちを大切にしながら物作りを続けていきたいです。楽しい時も悲しい時も針と糸と布。

olive洋裁店

令和元年五月一日



olive洋裁店
富山県
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